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都市大山崎の歴史的位置
https://osaka-shoin.repo.nii.ac.jp/records/1729
https://osaka-shoin.repo.nii.ac.jp/records/1729a4eddf02-8171-4912-9d44-ef15c3b349d9
名前 / ファイル | ライセンス | アクション |
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![]() |
Item type | 紀要論文(ELS) / Departmental Bulletin Paper(1) | |||||||
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公開日 | 2002-03-06 | |||||||
タイトル | ||||||||
タイトル | 都市大山崎の歴史的位置 | |||||||
言語 | ja | |||||||
タイトル | ||||||||
タイトル | The place in Japanese Urban History of the City of Oyamazaki | |||||||
言語 | en | |||||||
言語 | ||||||||
言語 | jpn | |||||||
資源タイプ | ||||||||
資源タイプ識別子 | http://purl.org/coar/resource_type/c_6501 | |||||||
資源タイプ | departmental bulletin paper | |||||||
ページ属性 | ||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||
内容記述 | P(論文) | |||||||
論文名よみ | ||||||||
その他のタイトル | トシ オヤマザキ ノ レキシテキ イチ | |||||||
言語 | ja | |||||||
著者名(日) |
小西, 瑞恵
× 小西, 瑞恵
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著者名よみ |
コニシ, ミズエ
× コニシ, ミズエ
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著者所属(日) | ||||||||
大阪樟蔭女子大学学芸学部 | ||||||||
著者所属(英) | ||||||||
en | ||||||||
Osaka Shoin Women's University Faculty of Liberal Arts | ||||||||
抄録(日) | ||||||||
内容記述タイプ | Other | |||||||
内容記述 | 大山崎は,戦前から中世の油商人である八幡宮大山崎神人の根拠地として知られ,「離宮八幡宮文書」を中心に商業史研究が積み重ねられてきた。戦前・戦後にかけて,原田伴彦が大山崎を中世都市として論じているが,離宮八幡宮の門前町と分類していた。大山崎を都市とする研究が本格的に始まったのは,『島本町史』と『大山崎町史』の編纂を通じて史料調査が行われ,新出の史料が見出だされたことにより,大山崎の内部構造を明らかにすることが可能になってからである。このような研究としては,小西瑞恵・脇田晴子・今井修平・仁木宏・福島克彦のものがあるが,どのような都市として大山崎を規定するかについて,まだ統一的な見解が成立しているとはいえない。都市のタイプを規定するために,これまでの諸研究を検討して問題点を提起し,港湾都市としての大山崎の実態を明らかにすることを試みた。また自治都市大山崎が京都や淀をはじめ,西日本各地と密接な連関性をもっていたことを再検討し,商業・流通の拠点としての実像を明らかにした。中世都市大山崎の近世都市への変化については,秀吉の城下町化が画期であると結論し,近世都市としての大山崎については,惣中の構成者が離宮八幡宮の社家として中世以来の階層構成を維持し,江戸幕府による保護を背景に,離宮八幡宮の神領として変容していく限界性について論じている。 | |||||||
雑誌書誌ID | ||||||||
収録物識別子タイプ | NCID | |||||||
収録物識別子 | AA11643143 | |||||||
書誌情報 |
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集 巻 39, p. 55-68, 発行日 2002-03-06 |