@article{oai:osaka-shoin.repo.nii.ac.jp:00002092, author = {白川, 哲郎 and シラカワ, テツロウ}, journal = {大阪樟蔭女子大学学芸学部論集}, month = {Jan}, note = {P(論文), 本稿は、日中戦争の勃発によって、昭和戦前期における大きな転換期となった昭和12年に焦点をあて、樟蔭学園関係資料のうち、特に学園広報誌『樟蔭學報』に基づいて、当時の様相を明らかにしようとしたものである。 まず、1937年(昭和12)1月~翌1938年(昭和13)3月発行の『樟蔭學報』の記事を紹介し、日中戦争勃発後、それが新聞紙法適用下に移行して、社会情勢を反映した記事が増えることを確認した。そして学園広報誌にすぎなった『樟蔭學報』が、国策を宣伝・広報する媒体としての性格を併せ持つようになり、国民を戦時体制に動員する一端を担ったことを指摘した。次に、『樟蔭學報』の「学校彙報」に載せられた、樟蔭高等女学校・樟蔭女子専門学校の教務日誌抄出記事を通して、当時の両校の実態を具体的に明らかにすることを企図した。そこでは昭和12年9月以降展開された国民精神総動員運動が、樟蔭学園においてどのように具体的に実施に移されていたかを検討し、『樟蔭學報』が国民精神総動員運動の実態面を分析する上でも貴重な資料群であることを明らかにした。}, pages = {1--18}, title = {昭和12年の樟蔭学園 : 樟蔭学園草創期資料のデータベース化とその活用(7)}, volume = {45}, year = {2008}, yomi = {シラカワ, テツロウ} }